27 8月 第72回日本PTA全国研究大会『川崎大会』に参加してきました。
こんにちは!PTA会長の戸田です!
今年度江津の市P連の副会長をつとめていることもあって、去る8/23(金)24(土)の2日間「日本PTA全国研究大会」というイベントに参加してきました。場所は川崎市にある「とどろきアリーナ」。MAX7,000席くらいのアリーナの中央には360度型のステージが組まれ、その界隈で有名であろう教育関係者が次々に登壇します。(残念ながらアリーナ内は写真撮影禁止でした。)
『ウェルビーイング』をメインのキーワードにし、他にも多数のトレンドワードを絡めてこれからの日本の学校教育のあり方や子育て論を中心にこれでもかというほどの基調講演が展開され、2日間に渡って聴き倒すというパワフルなイベントでした。(興味がある方はオフィシャルサイトからどうぞ。)
公益社団法人日本PTA全国協議会、日本PTA関東ブロックPTA協議会、川崎市PTA連絡協議会が主催となり、文部科学省はじめ数十団体が後援企業・団体としてクレジットされています。はじめて知るような団体名も多いですが、まさに長い歴史のある日本全体のPTAを組成している中心団体が一堂に会したようなイベントです。
PTAが発祥したのは19世紀末のアメリカで、その後昭和20年に日本に上陸します。今日まで続く『父母と先生の会』という名のコミュニティシステム。米国からの影響そのものですが、今日現在79年の歴史があるPTAは戦後の学校教育と並行して存続し、本質的には79年間変わることのない巨大なオペレーションシステムとも言えますよね。
イベント中は時々シェアタイムとして前後左右の方同士で簡単なセッションを行います。長崎、千葉、静岡、山梨など様々な参加者の方々と意見交換やお互いのPTA活動に関する情報交換を行いました。
登壇者の話を聞きながら印象に残ったフレーズをメモ。
PTAとは社会教育団体である
イベント冒頭のスピーチでは「PTAとは社会教育団体である」というフレーズが会場に刺さる。社会教育とは「学校・家庭以外の広く社会で行われる教育」のこと。社会教育が目指すものとしては個人の幸福な人生と持続可能な地域づくりである、という話。小さくも大きな意義を唱えた「まなつのひがしっこ祭2024」は、僕たちにとっての社会教育活動ではないかと妙に納得してしまった瞬間。
いじめ問題・登校拒否問題
「いじめが一番多く発生するのはいくつだと思いますか?」との問い。小学校高学年?中学2年生くらい?答えは小2。次いで小3、小1と続く。会場にちょっとどよめきが起きる。いじめってこんなに低年齢化しているとは知らなかった。だからこそ、小さいうちに自己肯定感を高めてあげるような親子のコミュニケーションが大切であるという話。
いじめ問題や不登校問題に取り組む社会起業家の方の話が続く。「自分もいじめにあっていた」という人の行動(事業化)と言葉にはなんて説得力があるのだろう。また親の行き過ぎた価値観で子どもに押し付けることがいかに子どもの自己肯定感を下げているか(不登校の原因)という話も。大人はもっと子どもにアレコレ言い過ぎず余裕をもって接した方がいいのだと我が身を振り返る。でもこれって精神的・肉体的・経済的にも余裕を持っていないとなかなか実践できないよね、と隣席の方とお互いに共有。僕は「家族の食環境がよい状態にあること」を声を大にして付け加えたい。食生活が大事という内容の話は誰も触れていなかったなあ。
ウェルビーイングという時代のキーワード
「ウェルビーイング / well-being」が示していることは「健康とは、単に疾病がない状態ということではなく、肉体的、精神的、そして社会的に、完全に満たされた状態にある」ということ。世界保健機関(WHO)が定義。類義語に「Happiness(ハピネス)」があるが、ハピネスは一時的な幸せの感情を指すものであるのに対してウェルビーイングは満たされた状態が持続すること。幸せを実感できる自分がずっと続いてるような、それこそが自分であると認識できるようなモードであることって感じか。心の幸せなくして現代社会を生き抜くことはできないし、それほどまでに心の状態のあり方を社会全体が重んじるようになったということ。(そういえば昨年度島根県の観光ブランディング関連で一本映像を業務委託で制作したのですが、そのときのテーマは「島根のウェルネス」だった。)
「富国強兵」という時代
自国の経済発展を図り、軍事力を強化しようとする主張や政策を意味する富国強兵。日本では幕末から明治にかけての日本で掲げられた国家的スローガンであり、軍隊的教育が存在していた時代の話。今聞くと驚くほど時代錯誤だが、当時はまるで支配社会。
ここで子どもが一人の人間として尊重され、自分らしく生きていくことを支えるための「市と市民の約束」としてこのイベントの開催地である川崎市の「川崎市子どもの権利に関する条例」が紹介される。2000年(平成12年)に策定されたので四半世紀前の話。
「子どもに権利なんて、子どもがわがままになるだけだ」という批判がおとなの一部にあったとされ、それに対して子どもの権利とは何かを一生懸命考えてきた子どもたちからの回答がこちら。
子どもたちからおとなへのメッセージ
「まず、おとなが幸せにいてください。 おとなが幸せじゃないのに子どもだけ幸せにはなれません。おとなが幸せでないと、子どもに虐待とか体罰とかが起きます。 条例に“子どもは愛情と理解をもって育まれる”とありますが、 まず、家庭や学校、地域の中で、おとなが幸せでいてほしいのです。 子どもはそういう中で、安心して生きることができます。」
~子どもの権利条例子ども委員会のまとめ~
(2001年3月24日 条例報告市民集会)
こんなにも客観的に物事を見ている子どものメッセージをもらって大人たちはどう感じるのだろう。子どもは親を含めた大人の言動を敏感に感じ取るし、ごまかすことなどできない。子どもにどうこう言う前に「あなたは大丈夫なの?」という問いを自分にもつことの重要性。大人は偉くなんてないのだと。こういうところが現代的な解釈だよなあと。それにしてもこのメッセージ、ちょっと泣けてきませんか。
大人が幸せでいること
僕が移住して数年間ほど人前で話す機会が度々あってそのときによく聞かれたことのひとつに「どうして(こんな田舎で)起業しようと思ったんですか?」というものがあった。
起業した理由は「自分が一番幸せな状態になれると確信していたから」。誰かのためにがんばれる人ももちろんいるけど、僕はそうではない。「島根のために、江津のためになんて全く考えていない」という心境は今でも変わらない。あえて言うなら自分と自分の家族のためにすべてのことをやっている、というマインド。
結果的に地域や誰かのためになったらラッキーだけど、それを目的に考えることはこれまでもこれからもきっとない。だから「子どもたちのために」という枕詞を使い続けることには若干抵抗がある・・。このキラーフレーズは言葉として強すぎる。だってそれを言われたら誰も言い返せないから。大人たちも自分が幸せになることをもって考えていくべきだし、考えていい。それが結果地域社会のためになるのではないか、ということを考えさせてくれるスピーチが壇上で連発されていく。これを今風に言えば『自己肯定感を高めよう』ということに他ならない。特に日本人は世界で見ても自己肯定感が著しく低い国。「自分がいい状態にある」だなんておくびにも見せない。(個人的にはその心理状態がわからないが、自慢していると思われてしまうとか、要は変わった人と思われたくない心理が働くのだろう。)ウェルビーイングを研究している専門家の方々は心の幸せのありようがいかに社会により良い影響を及ぼすかをよく知っているし、様々な研究事例を出していた。
1日目の夜は島根県のPTA関係者たちで集まって懇親会が開催されました。知ってる人は誰もいないだろうと思ったら隠岐の島町の知人がいてお互いびっくり。みんなでグビグビやりながら今日までのところを振り返ります。
持ち帰って感じたことを伝えたい、なにかのきっかけにしたいと思うならばどのように日々のPTA活動に落とし込んでいけるのかという話題で盛り上がります。東小は今年度終盤に江津市のPTAの研修大会を企画運営担当で、2日間を通してよいヒント、テーマをもらえたなと思っています。また、PTA役員とは関係ない話ですがこの秋に江津市内の全中学生が一堂に会する場で講演を行うという我ながらレアで貴重な機会を頂戴しました。今回参考にしたくなるような数々のスピーチを聞けたことはとても幸いです。
次年度も8月にこの研究大会が開催されるとのアナウンス。次なる開催地は石川県。能登半島地震から8ヶ月。長きにわたる復興というタイミングでもありますが、主催者からの「がんばって開催する」「ぜひ石川に足を運んでもらいたい」というメッセージに場内から大きな拍手。
2泊3日の行程を終えて出雲空港到着後、そのまま江津は波積の岩瀧寺で開催されていた「はづみ縁日」に向かいました。主催者は前年度PTA会長で今年度もなにかとお世話になっている岩瀧寺の井田さん。たくさんの地域の子どもたちの顔を見ながら、彼らがつくってくれたポテトフライを頬張りながら夏の終わりを感じるとてもいい夜でした。
まもなく2学期がはじまります。